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東京高等裁判所 昭和60年(う)53号 判決 1985年7月04日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年六月に処する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人高橋勇次、同金澤均連名提出の控訴趣意書及び同補充書並びに同八木胖提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官提出の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

弁護人高橋勇次、同金澤均連名の控訴趣意第一点、弁護人八木胖の控訴趣意(事実誤認(一)の主張)について

所論は、縷々細部に亘り主張しているが、要するに原判決は、本件事故当時被告人が加害車を運転していたと認定しているところ、その挙示する証拠は信用性のない証拠にすぎず、その全証拠をもつてしても右車両の運転者が被告人であつたか、あるいは甲野花子であつたかは明らかではなく、被告人であつたと認めるには合理的な疑いが極めて強く、むしろ甲野が運転していた可能性さえ窺えるのに、原判決が、本件におけるその合理的な疑いを無視して、信用性のない証拠に対する適正な価値判断を誤り、本件加害車を被告人が運転していたと認定しているのは、明らかに事実の誤認であり、被告人は無罪とされるべきものである、と主張する。

そこで、原判決挙示の全証拠を仔細に検討するに、本件加害車の運転者は被告人であると優に認定することができ、原判決のこの点の認定には些かの誤りもない。以下所論(ただし控訴趣意として原審弁論要旨を援用する部分は、すべて不適法であるので、控訴趣意として判断の対象としない)に即して説示する。

一本件事故当時加害車(普通乗用自動車、第多摩五七ひ二一七号、マツダRX五三年式)に乗車していたのは、被告人と甲野花子の男女二名のみであり、そのうちいずれかが運転者であつたことは明白である。

二先ず、本件事故直後の加害車の運転席にいた人物について検討する。

原審証人勝目卓朗の証言及び司法警察員作成の昭和五四年二月一三日付車両見分調書、同年三月九日付実況見分調書、並びに鑑定人藤岡弘美の同五七年一二月一六日付速記録末尾添付の拡大写真によると次の事実が認められる。

1  本件事故当時杏林大学教授であり医師である証人勝目卓朗は、本件事故発生から少くとも約五分位経たころ都心から新宿方向に向けて普通乗用車(運転手宮本某)にて進行中、本件事故現場に逢着したこと。

2  その当時加害車及び被害車の位置、形態の状況は、前記実況見分調書添付写真No.5(ただし都心側すなわち両車の後尾側は、二〇ないし三〇センチメートル加害車を被害車側によせた後の状況である)、及びNo.6ないしNo.8の状態であつたこと。具体的には両車は新宿方向に向けて、中央分離帯側に加害車が車首を新宿方向に向けて(進行方向とは逆)かつ転覆した状態(屋根が道路に接し、車底部を上にし、かつ右側《正常な車体の姿勢では左側》が中央分離帯のコンクリート製段差に接着し、車両右前部はガードレールに接している状態)であり、その左側に被害車が車首を新宿方向(進行方向と同じ)に向け、かつ加害車に極めて接近した状態で位置しており、両車はやや平行の形で停車していたこと。右両車の外部周辺には人は存在していなかつたこと。

3  本件の事故現場は暗くて、勝目は加害車の前方及び後方から同車をみたが車両の状態はわからず、この段階では右車内に人がいることを発見するには至らなかつたこと。

4  勝目は、先ず被害車内にいた二人(被害者甲斐重利と同羽山寿夫)の応急手当をし、すぐ加害車の内部の状況をさらに点検しようとしたが、よくわからないので集まつて来た大勢の人に手伝つてもらつて加害車の後部(都心寄り側)を二〇ないし三〇センチメートル位被害車側によせたこと。

5  そういう位置関係になつて、はじめて中央分離帯側から加害車の内部が見えるようになり、女性が後部座席に仰向けになつて頭を被害車側、足を中央分離帯側に向けて横たわつているのを手伝つていた者が発見し、勝目も右状態を確認したこと。

6  他の者が右女性の足を引つぱつて外に出そうとしたが、女性は足を骨折していて足を引つぱると体が右に逃げるので、皆んな恐がつて動かすことができなかつたため、勝目が介添してもう一人の者と二人で中央分離帯側に、同帶を越え反対車線上に引つぱり出したこと。

その引つぱり出した加害車の個所は、助手席シート前の大きな穴になつている所(車両見分調書添付写真1及び2の、助手席左側のドアが大破して車内にめり込み、大きな空間となつている個所)からであつて、勝目は女性を右個所から引つぱり出すとき、助手席には他の人物はいなかつたことを確認していること。この女性は甲野花子であること。

7  勝目は、自己及び手伝つた者たちにも頼んで、加害車内を点検したが暗くて、右女性以外に右車内にまだ人がいることは確認できないでいたが、勝目が右女性を反対車線上で心臓マッサージなどの応急手当をしているとき、手伝つていた者から「車の前の部分を持ち上げて、そこから男性を出した」旨の報告を受けたこと。

所論は、右の手伝いの者の報告内容につき、右は伝聞供述であつて、刑訴法三二四条、三二一条一項三号により、その必要性及び特信性が立証されない限り証拠能力を有しないところ、原判決は右要件の存否を吟味することなく、右供述を証拠に採用したのは違法であると主張する。しかしながら、原審公判において、証人勝目の右供述部分に対しては、原審弁護人は右尋問の終了までなんら異議の申立をしておらず、又証拠排除の申立もしておらず、のみならず右供述については、反対尋問を行つているものであつて、右の原審弁護人の訴訟行為は、右供述部分が伝聞供述に当るとしても、これを証拠とすることには同意したものとみなすことができ、ただ信用性を争つているものと解されるのであるから、所論は理由がない。

8  なお、証人勝目は、右供述を原審第九回公判(昭和五八年三月二二日)においてなしているのであつて、本件事故当日(同五四年一月一六日)から約四年二ケ月を経過しているのであるが、勝目はその間のことについて、医者としてもこのようなことに遭遇することは滅多にないことで非常に印象が強烈であるので、詳しく、忘るることなく記憶している旨のことを供述していて、その供述の信用性のあることを自ら理由づけており、このことは十分に首肯するに足りること。

9  証人勝目の右1ないし7の各供述は、右8からも明らかなように、医者としての感覚と知識で右場面の諸状況を知覚し、それを強烈な印象と受けとめて記憶し、かつこれを十分に維持し、それに基づいてなされたものであるが故に、十分に信用性があるということができるところ、右1ないし6の各事実を総合すると、勝目は本件事故発生後、少くとも五分位経つたころ右事故現場にたまたま差かかつて救助作業に従事し、その際加害車の後部座席に仰向けになり(車の正常形態からすると俯せの姿勢)、頭を被害車側、足を中央分離帯側にして横たわつている甲野花子を、助手席右横(車の正常形態からすると左横)の衝突でドアが大破して助手席のほうにめりこみ、大穴が空いた形になつている個所から、中央分離帯の方に引つぱり出し、反対車線の道路上に横たえたこと。かつ、勝目はその段階まで被告人がまだ加害車内にいることは確認しておらず、甲野を右個所から引つぱり出すに当り、助手席に相当する個所(転覆している状態なので、助手席のシートは上になつている)には人はいなかつたこと、又後部座席には甲野一人であつたことがそれぞれ認められるところ、この段階で被告人は発見されなかつたとしても、加害車内にいたことは明らかであり、かつ、車両見分調書添付の1ないし6の各写真から認めることのできる衝突後の加害車の転覆大破状況から見て、被告人がいた個所は後部座席及び助手席でもないところから、そのときの加害車の運転者席以外にないことが明らかである。

10  次に、前記実況見分調書添付のNo.5ないしNo.7の各写真及び車両見分調書添付3、4の各写真によれば、本件事故による前記加害車の転覆停止の状況の下で、加害車の左横(車の正常形態では右横)のガラス窓のガラスは割れておらず、かつ閉まつたまゝであり、又、運転席前のフロントガラスは大破していて、その左下(正常な形態では右上)に一部残存するのみであることが認められるところ、右2ないし6の各事実から認められるように、転覆している加害車の右側は中央分離帯に接着していて、甲野を引つぱり出した助手席横の大穴が空いている個所以外は到底人を引つぱり出せる空間はなく、その加害車の左側は前記のようにガラス窓は閉まつたまゝでかつ被害車に接近していたのであるから、運転席にいるはずの被告人を外部に救出するには、甲野を引つぱり出した助手席横の大穴から、甲野と同様に中央分離帯のほうに引つぱり出すか、大破して大穴が出来ているフロントガラスのほうから前のほうに引つぱり出すか、の二方法しかないと推認されるのであるが、加害車の構造及び破損の状況から甲野を救出した個所からの被告人を救出するのは、救出する側からは内部に手がとどかず困難だつたところから、フロントガラスのほうからすなわち前の方から救出したことは前記7の供述から推認されるところ、右供述は客観的状況と一致していて、信用することができるというべきである。

三次に、本件事故発生以前の段階から本件の加害車と被害車が衝突し、右二の2のような状態になつて停車するまでの間に、前記認定のように転覆停車時に運転席にいた被告人と、同乗車である甲野花子が運転を交替するか、あるいはなんらかの理由によつて、たとえば衝突などによつて両名の位置が入れかわる可能性があつたか、について検討する。

1  原審証人松野とも子及び同須藤富美子の各証言、並びに司法警察員作成の昭和五六年九月一三日付実況見分調書、同五七年三月二三日付確定地点相互間の測定距離報告書によれば、須藤運転の普通乗用自動車(以下須藤車と称する)に松野が助手席に同乗していたが、右須藤車は加害車より一足先に新宿料金所を出発し、原判示の首都高速四号線上り線道路に入り、途中加害車に追い越されたこと、証人松野と同須藤は、須藤車はさらにフェアレディZなる車種の車(Z車と称する)にも追い越されたところ、この加害車とZ車はお互いに高速度を出し、相互に二、三回追越をしており(本件の道路においてこれが可能であることにつき、原審鑑定人藤岡弘美の供述がある。)、そのうち加害車が左車線から右車線に進入し、さらに中央分離帯を越えて反対車線に入り、対向車と衝突したことをそれぞれ目撃しているが、それによれば加害車は須藤車を追い越した際、右のように対向車(被害車)と衝突するまでの間、一度も停車していないことが認められること。所論は、右両証人の証言の信用性について云々するところがあるが、それは後述するように専ら加害車の運転席にいたのは被告人かどうかの目撃の信用性に関するものであつて、前記の点の目撃状況については、追越しの回数に関しては疑問を呈しているものの、須藤と松野が先行する加害車の走行状況の目撃に関しては、特段の主張はしていないものであり、又両証人も右の追越された後の加害車の運転状況及び本件事故発生の状況については、よく記憶していて明快に供述しており、十分信用するに足りるものである。右事実から認められる加害者の運転状況からするならば、加害車が須藤車を追越して後、被害車と衝突し、転覆停車するまでの間に、進行している自動車の中でしかも高速運転の最中に、その運転者が交替するようなことは、経験則上至難の業に属することというべく、本件加害車についても右の間に運転者の交替はなかつたものと認めることができるというべきである。

2  原審証人樋口健治の証言、同人作成の鑑定書、原審鑑定人藤岡弘美の供述、同証人河野稠の証言、司法警察員作成の昭和五四年三月九日付実況見分調書、同年二月一三日付車両見分調書、司法巡査作成の同五七年六月一三日付事故現場等ポール間隔測定結果報告書によれば、本件道路を加害車は約一二〇キロメートルの時速で進行し来たり、本件事故現場手前の左急カーブに差しかかり、速度を落したが、遠心力で右車輪のタイヤの痕跡(スキット痕)を残しながら右傾しつつ進行し、時速を約一〇〇キロメートルに減速したが、走行の安定を失いそうになつて急制動をかけ、かつ右にハンドルを切つたため、車体は激しく右廻りにスピン運動をはじめ、車体が左傾したまゝ左側前後輪のタイヤの痕跡(スキット痕)を残しながら、中央分離帯の段差に先ず右前輪が接触し、さらにその段差に乗り上げ、加害車は激しく右旋回しながら、左前輪、左後輪と次々に右段差及びその上部に設置されているガードレールに接触しつつ、斜後走の形でガードレールを押し倒したこと、このとき左後輪はアルミホイルが損傷欠損し、タイヤにバース亀裂が生じたこと、加害車は右の形でガードレールを押し倒した後、空中滑走した左前輪で反対車線上に着地し、そこから反対車線上を車首を新宿方向に向け、逆走する形でやや左傾しつつ(助手席側に傾く)約三・六メートル滑走し、(この点は証人樋口健治の証言、同人作成の鑑定書のほうが、鑑定人藤岡弘美の供述よりも、力学的工学的の経験則に徴し合理的である)、折柄対向車線を都心方向から進行してきた被害車と激突したこと、の各事実が認められる。加害車が前記のようにタイヤ痕を残しつつ速度を落しはじめてから右の衝突までの間、加害車はあるいは右傾し、あるいは左傾し、中央分離帯に乗り上げガードレールを押し倒し、空中滑走し、着地後さらに左傾しつつかつ逆走の形で滑走し、衝突し、転覆している具体的状況下であつて、運転者が助手席の者と入れ替り得るような可能性は、シートベルトの着用の有無にかかわらず全くなかつたことが認められる。所論は、証人樋口健治の証言並びに同人作成の鑑定書の認定に対し、その合理性を疑い、信用性を非難するが、右証言及び鑑定書の記載は十分に工学的力学的な経験則に則つていてすべて相当であり、所論は採用できない。

3  次に、右2挙示の各証拠によれば、右のように加害車が反対車線に着地し、左傾しながらかつ左側車輪でスリップ痕をつけながら逆走の形で滑走し、助手席の前あたりを、反対方向から来た被害者の正面に激突したこと、その加害車と被害車とは加害車が真横になつてすなわち直角の角度で衝突したものではなく、両車は約四五度ないし約三〇度の角度で衝突していること、その衝突により左傾したまゝ衝突した加害車は、左側を下にして横転転覆して停車し、一方被害車は少し押しもどされた形で停車したこと、その停車の状況は、被害車と中央分離帯の間に、加害車が転覆して、被害車とやや併行の形であつたが、その前部の方は右側(正常の形態では左側)がやや中央分離帯の段差の上に乗つており、かつガードレールを押し傾けており、後部も中央分離帯に接着する状態であつたこと、の各事実が認められる。

そこで、右衝突時にもし甲野が運転席にいて運転し、被告人が助手席にいたと仮定すると、すでに説示したように、衝突後は甲野は後部座席に横たわつており、被告人は運転席にいたことが認定できるのであるから、この事実との関連を合理的に解決しなければならないことになる。

(1)  もし右の仮定を前提とすると、右衝突による加害車の横転転覆の瞬時の間に、運転席にいたはずの甲野が、シートベルトを使用しておればそれが切れて後部座席にすつ飛び、次いで助手席にいたであろう被告人が運転席におさまるという二つの運動が、むりなくかつ時間的に都合よく時差をつけて実行されなければならないことになる。しかしながらこのようなことはそれ自体至難の事柄であると同時に、同一自動車内に並んで位置している両名に対し、外部から同一方向に力を加えられた場合、甲野が後方にすなわち縦に力の影響を受け、被告人が横に力の影響を受けるとすることは、物理的力学的に不合理というべきである。かつ被告人が助手席にいたとすれば、加害車は左傾して後方に逆走しつつ、約四五度ないし約三〇度の角度でその左横助手席付近に被害車の前部と衝突しているのであるから、助手席にいたとする被告人に加えられる力は、物理的慣性上左方及び後方に引き寄せられるとするべきであるのである。それが逆方向の助手席から運転席のほうにその体が移動するとすることは極めて不自然な現象といわなければならない。かかることは生じえない事柄である。以上の事実は被告人が衝突時に助手席にはいなかつたことの有力な証左となる。

(2)  右関係証拠のほか、原判決挙示の甲野花子と被告人の受傷関係の各証拠を総合すると、甲野花子の傷害は、大多数がその左半身に集中していて(下顎骨開放骨折も左下顎である)、かつ被告人の傷害より重篤であることが認められる。このことは樋口健治作成の鑑定書中甲野花子の傷害の部位中、右大腿骨開放性骨折、右腓骨骨折の記載をもらしている点はあるにせよ、そのことは前記の結論を左右するものではない。なる程被告人の傷害も、右頭蓋内血腫硬膜下水腫(この傷害の発生原因については四回の機会があつたと証人樋口は指摘している)を除き、左半身に集中しているが、甲野の傷害よりはるかに軽いことが認められる。もし、前記衝突時に甲野が運転席に、被告人が助手席にいたとするならば、ドアが内部に約六〇センチメートルもめりこむような衝撃を受けたはずの助手席の被告人の左半身の傷害が、被告人の体を緩衝地帯として右衝撃を受けたにすぎないことになる甲野の左半身の傷害よりも遙かに軽いということは、全く経験則に合致しない不合理なことというべきである。右の状況について、証人樋口がその鑑定書において、「本件事故で受傷する程度が最も烈しいのは被害車に押しつぶされる加害車の助手席乗員となり、加害車の運転席に居た者は、助手席乗員の上体がクッションとなり、衝撃が緩和されるため受傷程度が最も軽くなる」と工学的力学的経験則において判断していることは、まことに相当というべく、これを本件にあてはめると、助手席に甲野、運転席に被告人(シートベルトを着用していた状態と推定する。もし着用していないとするなら、おそらく前記衝突の衝撃により助手席に転げこみ、甲野の上になつて助手席で重なり合うか、あるいは後部座席に一緒にとばされたことであろうが、しかし、被告人は転覆停車後も運転席にいたことが明らかであるから、かく推定することができるというべきである)が位置していたとしたとき、最も合理的に解することができるといわなければならない。

以上の点から、被害車との衝突直前まで運転席に甲野が、助手席に被告人がそれぞれ位置していたとするには、客観的な状況と一致せず不合理であることが認められ、結局右衝突の直前まで被告人が運転席に、助手席に甲野が位置していたと認めるとき、右衝突時及びその後の客観的事実と一致し合理的であると解することができるといわねばならない。

4  なお、所論は、前記2の状況において、(1)加害車は右旋回のスピンを起しつつ、中央分離帯に向つてほぼ正面衝突の形で衝突したと推認され、(2)甲野の死因である胸部内臓損傷は、中央分離帯に衝突した際運転席のハンドルに胸部を強打した結果である、との可能性が大きいとの見解を前提として、本件加害車は甲野が運転していた旨の主張をする。

しかしながら、所論の個所での加害車と中央分離帯及びガードレールとの衝突が、所論のような正面衝突でないことは前記鑑定書及び証人樋口の証言から明らかであつて、所論はすでにその点において前提を欠くというべきであるが、なお、付言すると、加害車は右旋回しながら中央分離帯に衝突しており、その際加害車の中で最も衝撃を受けたのは左後輪であり(タイヤのバース亀裂、アルミホイルの欠損)、かつ力学的には加害車は右前輪が中央分離帯に接触して、直角的に前面に飛び出したものではなく、次に左前輪、次いで左後輪(このとき最も強い衝撃があつた)と中央分離帯及びガードレールに逆走の形で段階的に衝突しつつ、空中滑走して反対車線に飛び込み、左前輪及び左後輪で着地し、左傾かつ逆走の形で滑走しているのであつて、右の具体的状況からするならば、運転者は、加害車が中央分離帯に接触してから反対車線上に着地するまでの間、ハンドルの方向(正面の方向)に衝撃を受けるよりは、むしろ左後方か左横の方向に引きよせられる衝突を受けていたものと推認され、所論のようにかりに甲野が運転席にいたとしても、その胸部をハンドルにて強打するような機会は全く生じなかつたと認めることができるのである。のみならず、甲野の胸部の外傷は左鎖骨骨折、左助骨多数骨折であつて、左側に集中しているところ、右を所論のように正面衝突によるハンドルとの強打による傷害だとするならば、その間の合理的理由が強く要求されることになるが、右は所論のように甲野が加害車が中央分離帯を乗り越えるときに、運転席にいてハンドルにて強打して生じたと解するよりは、加害車の助手席にいて、被害車との激突の際に左側から加えられた衝撃によつて生じた傷害であると解するのが、最も合理的で客観的状況に合致するというべきである。所論は採用できない。

5 以上1ないし4の各事実を総合すると、加害車の運転者は須藤車を追越した後、被害車と衝突し、被害車の右側に転覆停車するまでの間、変更がないと認められる。かつ二の事実から右転覆停車した加害車の運転席にいたのは被告人であることが認められるのであるから、以上の全事実によれば、須藤車を追越したときから、本件事故を発生し転覆停車するまでの間、加害車を運転したのは被告人であると断定することができる。

四なお、所論は、原審証人松野とも子の証言及び同人の検察官に対する供述調書、同証人須藤富美子の証言、及び司法警察員に対する実況見分の立会いの際の指示説明のうち、加害車の運転者が被告人であつた旨の目撃につき、その信用性のないことを強調する。右両名は加害車の運転をしていたのは被告人である旨の、唯二名の直接的な目撃証人として原審において重要視され、さればこそ控訴趣意においても右両名の供述などの信用性の有無を重視していると思われるのである。ところで、この両名の目撃状況を本件の具体的状況に則して勘案すると、須藤車は新宿料金所を加害車より先に出発し、その後追越されているのであるが、重要なことはその追越される際に加害車の運転者を目撃したかどうかであつて、それ以前に運転者を正確に目撃していたとしても、甲野も運転能力のある女性であるので、須藤車が先行したあと、加害車が追越すまでの間に、加害車内において被告人と甲野の間でいかなる事情によるにせよ、運転を交替する余地があり、かつその間の目撃者は絶無であり、甲野は死亡し、被告人は逆行性健忘性であつて確たる供述が得られない状況の下では、須藤及び松野の追越し以前の目撃状況は、たんなる間接事実としての意味しかない。この見地から証人松野とも子の証言及び検察官に対する供述調書を検討すると、松野は新宿料金所付近での目撃状況は詳しく供述しているが、須藤車が加害車に追越されたときの加害車の運転者についての供述は存しない。なお追越された後の、加害車がフェアレディZと二、三回に亘り高速度で追越し合いをしていたことの証言については、その信用性があることはすでに述べたが、松野がその時の加害車の運転を乱暴と評価し、男性でなければできない運転であると判断し、そのことから加害車の運転者は男性であると推論している部分は、一般人の経験則による推論としての程度の間接事実にとどまり、特段重要視すべきものとは思われない。次に、証人須藤富美子の証言及び実況見分における立会指示を検討すると、須藤は本線に出てから後続接近する加害車の運転者を見て、その者はサングラスをかけていたといい、又それは姉(松野)がそう言つたからそう思つたのかともいい、そのことは本線に出てなのか、料金所のところで右運転者を目撃したときのことなのかいずれかわからないといい、その証言は転々としていて、結局追越される際の確たる運転者に対する目撃状況の証言は得られないで終つていることが認められる。なお追越された後の目撃状況は松野とほゞ同じであつて、それに対する説示もまた松野の証言に対すると同じ評価にとどまるというべきである。してみれば、右両名の加害車の運転者の目撃状況、及び追越された後の加害車の運転状況からの運転者が男性であるとの推論については、右説示の程度に解すべきであるから、追越し以前の加害車の運転者の目撃状況につき、その信用性を論ずることは前提において不必要であつて、所論は理由がない。なお原判示中右証人両名に対する原審弁護人の反対尋問に言及する部分は、措辞些か妥当を欠く嫌があるというべきであろう。

以上の諸点から、本件事故当時の加害車の運転者は被告人と優に認めることができるのであるから、所論は理由がない。

弁護人高橋勇次、同金澤均連名の控訴趣意第二点(事実誤認(二)の主張)について

所論は、(1)原判決の加害車の毎時一二〇ないし一〇〇キロメートルの高速度の認定には疑問があること、(2)加害車の本件道路のカーブ部分を運転していた具体的状況の下では、急制動の措置を講じたり、ハンドルの右転把を必要とするような走行の安定を失つたとみられる状況はうかがえないこと、(3)加害車は他車(フェアレディZ)との接触などの危険を避けるため、突発的に右ハンドルを切つたことにより本件事故に至つたとも考えられること、などの理由により、原判決には過失につき証明不十分な事実を誤つて認定した事実誤認がある、と主張する。

しかしながら、原判決挙示の各証拠によれば、右(1)及び(2)の各事実について原判示のとおりの事実が優に認められ、又(3)については、原審証人松野とも子、同須藤富美子の各証言によつても、加害車がフェアレディZと相互に追越し合いをしていたことまでは認められるものの、右フェアレディZと加害車との間に接触の危険があつた旨のことは全く認められないから、所論は前提を欠き、結局所論は採用できない。

同控訴趣意第三点(量刑不当の主張)について

所論は、要するに被告人を懲役二年の実刑に処した原判決は重きにすぎ不当であり、被告人には執行猶予付の判決を望むというものである。

そこで原審記録ならびに当審で取調べた証拠を総合して勘案すると、被告人に対しての量刑の事情は、原判決の「量刑の理由」に委曲を尽して詳細に説示されているとおりであつて、当審もすべてそれを相当として是認するものであり、原判決の量刑はその段階ではまことに相当であるということができる。

しかしながら、当審においては、原判決当時は被告人に対し宥恕の気持を示さなかつた被害者三名のうち、死亡した甲野花子の父は、ようやくにして被告人の誠意を認めて被告人に対し寛刑を望むに至り、又甲斐重利も被告人の家庭及び将来に理解を示して重い刑罰を望まない旨の上申書を提出しており、なお、本件は昭和五四年一月一六日の事件であるところ、関係者は重傷とはいえ同年度内には一応社会復帰をしていたのに、捜査が遅延し、ようやく同五七年四月一〇日に起訴されたものであつて、被告人及び弁護人において争つているとはいえ、事故発生からすでに約六年半近くを閲し、その間被告人は通常の社会人として家庭及び社会生活を送り間然するところのないことを考慮するならば、その刑事責任の重大さにかんがみ、被告人を執行猶予にするまでの特段の情状は認められないとしても、原判決の懲役二年の実刑は些か重きにすぎるというべきであつて、破棄を免れない。結局論旨は理由がある。

そこで刑訴法三九七条二項により、原判決を破棄し、なお、同法四〇〇条但書により直に次のとおり判決する。

原判決が証拠により認定した罪となるべき事実に、原判決と同様の法令を適用して得られた処断刑期の範囲内で、前記情状を考慮して被告人を懲役一年六月に処し、刑訴法一八一条一項本文により、原審における訴訟費用は全部被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石丸俊彦 裁判官新矢悦二 裁判官高木貞一)

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